青芳窯(せいほうがま)

更新日:2024年04月01日

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念ずれば花開く人形

青芳窯は、1962 年に森元芳夫さんによって開かれた窯元で、現在は息子で2 代目の志郎さんが引き継いで作陶を続けています。
お二人は「青芳」という雅号を使われています。 

工房は、県道大平砥部線沿いにある砥部町陶芸創作館から徒歩3分のところにあります。 

こちらでは砥部焼の伝統と技法を生かして、人形「青芳人形」を作っており、販売もしています。
その他砥部焼伝統産業会館、砥部町陶芸創作館、坂村真民記念館などでも販売しています。

青芳窯の入り口
青芳人形を作成する森元さん
作成途中の人形

初代青芳さんが創業した当初は、花器や食器がほとんどで、人形は並行して作る程度でした。
「人形なんて売れないよ」とまわりの人からは言われていましたが、徐々に注目され初め、1977 年に行われた砥部磁器創業200 年祭では、記念の人形を発表し、人気を博しました。
その頃から人形だけを手掛けるようになり、今では「青芳人形」として親しまれています。 

代表作である「念ずれば花ひらく人形」は、今では坂村真民氏の詩を基に作られたと思われがちですが、もともと青芳窯にあった、合掌した「陶人形」を見たお客さまが、「砥部に有名な詩人の方がいらっしゃって、この人形に合う詩があり、この作品に同封して、記念品としたい」と言ったひとことから縁が生まれたとのこと。その詩人こそが坂村真民氏でした。 
元々、宇和島に住んでいた坂村真民氏と初代青芳さんの交流はありましたが、3 体1 組の「念ずれば花ひらく人形」の誕生で、その絆は深まりました。 

また、初代青芳さんは雛人形作りにも力を入れていましたが、後に、「昭和3年3月3日の雛祭りに生を受けたのは、人形作りのためだった」と話していたそうです。

砥部焼ひろばにあるせいほうにんぎょう
おんなのこのせいほうにんぎょう
オーケストラを表現したせいほうにんぎょう

二代目青芳さんは大学卒業後、京都の陶芸関連の学校で4年間学び、同じく京都の六兵衛窯七代清水六兵衛に師事しました。
その後、初代青芳さんと共に作陶しましたが、1年ほどでJICA( 国際協力事業団) 技術協力専門家としてタイへ赴任。国際技術専門訓練校の建設にも参加し、現地で3年間陶芸を教え、戻って来られたそうです。

青芳人形はファンの手によって各地で見ることができ、砥部町大南商店街内「砥部焼ひろば」の一角にも展示されています。さまざまな表情やポーズをした人形が、今にも動き出そうな躍動感を感じさせます。

真剣なまなざしで人形制作する森元さん

作陶の手順などをお聞きしたところ、パーツごとに乾き具合を見ながら成形し、細かな作業が多く、焼き物の技法のすべてを使って作るため「人形づくりは技術の結晶とも言える」とおっしゃっていました。 

「青芳窯の作品を見て心が安らかになってくれれば嬉しいですし、見て笑顔になれるような作品を作っています。人形の表情はひとつひとつ違って、年数を経て、その表情が変化していきます。ぜひ、直に手に取って人形の顔を見てもらいたいです。数多くの種類の人形が、窯の火によって命を吹き込まれ、持ってくださる方々の心に届くこと願っています」と噛みしめるように話してくださいました。

これからも初代の作風を守りながら作陶を続けていかれます。
ふたつとない人形の表情。唯一無二の出会いをしてみませんか。

 

基本情報

  • 住所:〒791-2133 愛媛県伊予郡砥部町五本松70 番地
  • 電話番号:089-962-2229
  • 営業時間:9時から17時まで
  • 定休日:不定休(日曜は休みの場合が多い)
  • 駐車スペース:2 台