梅山窯(ばいざんがま)
梅山窯は梅野政五郎さんにより1882年(明治15年)に開窯された、140年以上の歴史をもつ窯元です。
明治のころは海外での人気が高く、「伊予ボウル」という名で砥部焼の約8割が外国に輸出されていたそうです。
大正から昭和初期になると、窯焼きや絵付けに新しい生産技術を取り入れ、大量生産ができるようになった美濃焼や瀬戸焼などに押され、砥部焼の生産量は落ち込んでいまいます。
そんな時、第2次大戦後、民芸運動の推進者たちが砥部を訪れ、機械化されてしまった他の産地と違い、手作り・手仕事にこだわった技術が残っていることを高く評価したのが昭和28年のことでした。
そして、梅山窯の岩橋節夫さん、工藤省二さんらは、陶芸家で民芸運動の提唱者である柳宗悦、浜田庄司、富本憲吉、鈴木繁男、藤本能道らの諸先生のご指導を受け、絵付け技法の向上に取り組み、現在の梅山窯が提唱する「用と美」の礎となりました。
それは、現代の梅山窯で働く大勢の職人にも受け継がれています。

梅山窯の代表的な文様は、「唐草」「太陽」「なずな」「呉須赤菊」「赤線三つ葉」です。
梅山窯で生み出された技法「つけたての一筆書き」で描かれ、すべて自然がモチーフになっています。



梅野武之助さんの娘で、5代目にあたる岩橋和子さんにお話を伺いました。
「和食はもちろん、洋食中華など使い方は自由です。そば猪口という名であってもジュースやデザートを入れられる方もいれば、小物入れや植木鉢にする方もいます。砥部焼はとても丈夫です。皆さんの生活に自由に取り入れてもらいたいです」とお話してくださいました。
そして、梅山窯では、『作家』ではなく『作り手』『職人』として、民衆のための器を丹精込めて作り続けています。自然風土、生活の中から生まれる民衆的な美しさや内面の健康美というのは、やっぱり手作りだからこそ滲み出るものだと思っています。手作りこそが、有機的で、何にも増して美しい。そう思っています。」


梅山窯の敷地内には、おおきな販売スペース、工場、歴史資料館、登り窯(梅山大登り窯:明治20年築窯、町指定文化財)があります。
工場では大勢の職人が工程ごとに任された仕事をこなす様子を見学でき、資料館では古い砥部焼を見ることができます。登り窯は中に入って大きさを体感できます。
用と美を兼ね備えた温かい器を生み出してきたこの場所に、ぜひ訪れてみてください。
更新日:2024年04月01日