平和と環境保護を願って作られた砥部焼
「生命の碧い星」(白潟八洲彦さん作)
【現在国連欧州本部に設置】と、海の部分を削る子ども達 (砥部町伝統産業会館で)
広田村長曽池キャンプ場
季節ごとにそれぞれの自然の景色を楽しませてくれます。 特にキャンプシーズンともなれば家族連れなど、 色とりどりのテントが張られ賑わいをみせます。
 自然条件・地理的条件
 砥部町と広田村は、愛媛県の中央に位置しています。 北部は松山市と重信川を隔てて接しています。 西は松前町、伊予市、中山町と、東は久万町、南は内子町、小田町と接しています。 2町村全体では東西9.5km、南北20.8kmという細長い地形となり、総面積は101.6kuです。
 本地域は、周囲を山々に囲まれています。 砥部町は重信川に注ぐ砥部川が、中央部を流れる盆地上の地形となっています。 南部の広田村に向うにつれ標高が高くなり、広田村は北ヶ森(1,010m)、山郷の辻(932m)などの 高峰に囲まれた山間地域になっています。 大部分は15度以上の傾斜地となっており、起状の多い地形となっています。
 気候は、地域ごとに異なっています。 北部は年間を通して温暖な気候ですが、南部の山間部では、冬季には15cm程度の積雪も見られます。 また、その中間部は、寒暖の差が大きな盆地的な気候となっています。 全体的には良好な気候となっており居住に適した地域となっています。

 沿革
 二町村はともに古代集落跡が発見されており、人々の生活が息づく、歴史の長いまちです。
 わが国の地方自治体は、近代的地方自治制度の導入のために行われた「明治の大合併」(明治21年〜22年)と、 地方自治の強化を図るために行われた「昭和の大合併」(昭和28年〜36年)と言われる大きな転機を経験しています。
砥部町は明治と昭和の大合併を経験しています。広田村は、明治の大合併を経験しています。

 2町村の沿革
 内   容
砥部町明治22年 外山、北川毛、五本松、大南、岩谷口、大平、川登、万年の8カ村が合併して砥部村が発足
明治23年 麻生、宮内、千足、川井、七折、大角蔵の6カ村が合併して原町村が発足
昭和 3年砥部村が砥部町となる
昭和30年砥部町と原町村が合併して、新しい砥部町となる
広田村明治23年 高市、総津、玉谷、満穂、中野川、多居谷、猿谷、栗田の8カ村が合併して広田村が発足
昭和 4年大字栗田が境界変更により中山町に編入される
昭和22年地方自治法の発布により新しい広田村となる


 産業
 砥部町の農業は、温暖な気候を利用したみかん栽培が主になっています。 しかし、農業を取り巻く状況は厳しく、農業就業者数は10年前と比べると22%減少しています。 工業は、220余年の歴史を持つ伝統的工芸品の「砥部焼」が最重要産業となっています。 商業に関しては、北部にショッピングセンターや大型スーパーがあります。 また、古くからの商店街も形成されています。 消費者の松山市への流出や、後継者不足などから、空洞化が見られます。 観光では、地場産業である砥部焼の体験や、天然記念物に指定されている衝上断層、温泉などを楽しむことができます。 また、えひめこどもの城や県立とべ動物園など、子どもづれの家族が楽しめる環境も整備されています。
 広田村の基幹産業は農林業です。 松山市まで50分という立地条件を生かし、米、栗、椎茸、高冷地野菜、畜産 が主になっています。商業は、約30戸の小売店が村内に点在しているものの、 人口の減少や消費者の村外流出により、経営状況は芳しくない状況にあります。 観光では、美しい景観を生かした散策や、キャンプ、陶芸体験、天然の素朴な食材等を生かした郷土料理などを 楽しむことができます。また、小学生を対象にした、山村留学を実施しており、交流人口の拡大に努めています。

 砥部町広田村
人口 21,492人1,220人
世帯数 7737戸486戸
面積 57.20ku44.37ku
町・村制施行 昭和30年昭和22年
町・村花 ポーチュラカこぶし
町・村木 みかんくぬぎ
歳入総額(千円) 6,750,6251,658,452
歳出総額(千円) 6,196,5931,566,938
地方交付税(千円) 1,876,651819,388
議会議席定数 18人10人
農業委員会定数 1413
一般行政職員数 12225
平成15年6月末現在  歳入、歳出は普通会計(平成14年度決算額)