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砥部焼の歴史

印刷用ページを表示する掲載日:2011年2月1日更新
年代事項
1775年(安永4年)大洲藩主、加藤泰侯(かとうやすとき)、砥部に磁器づくりを命ずる。
1777年(安永6年)杉野丈助(すぎのじょうすけ)が磁器焼成に成功。
大洲藩が経営していた上原窯を門田金治(かどたきんじ)が譲り受ける。
1818年(文政元年)向井源治(むかいげんじ)、川登陶石(かわのぼりとうせき)を発見。
1839年(天保10年)栄蔵(えいぞう)、類助(るいすけ)、宗兵衛(そうべえ)、絵薬を求めて長崎に行く。
1848年(嘉永元年)井岡太蔵(いおかたいぞう)、トンバリ(レンガ)を使った窯を作る。
1851年(嘉永4年)城戸源六(きどげんろく)、素焼窯を考案。
このころ、太鼓型の大型水車が登場。
1853年(嘉永6年)坪内(つぼうち)家の水車帳に17の窯元を記載。
1857年(安政4年)瀬戸物役所、唐津役所ができる。
このころ、全国に磁器窯が作られ磁器が庶民生活の中に広まる。
1878年(明治11年)伊藤五松斎(いとうごしょうさい)、九州から陶工を招き、型絵染付を広める。
伊達幸太郎(だてこうたろう)、京都で西洋彩画を学ぶ。

1885年(明治18年)

砥部焼、清国(しんこく、今の中国)に輸出。
1888年(明治21年)下浮穴、伊予両郡陶磁器同業組合設立。
1890年(明治23年)向井和平(むかいわへい)、淡黄磁を創始。
1893年(明治26年)淡黄磁、シカゴ世界博で一等賞にかがやく。
1906年(明治39年)陶器補習学校が開校。
1942年(昭和17年)杉野丈助(すぎのじょうすけ)の功績をたたえて記念碑を建立。
1953年(昭和28年)柳宗悦(やなぎむねよし)、浜田庄司(はまだしょうじ)など、指導のため砥部を訪れる。
1976年(昭和51年)砥部焼が国の伝統的工芸品に指定される。
1977年(昭和52年)砥部磁器創業200年祭を行う。
1984年(昭和59年)『砥部焼まつり』が始まる。
1989年(平成元年)砥部焼伝統産業会館がオープン。
1995年(平成7年)砥部焼の地球儀が国連欧州本部に設置される。
2005年(平成17年)砥部焼が愛媛県の無形文化財に指定される。